陰謀論について‐3

前回、前々回を踏まえた結論は次の通りである。(一部例外を除く)陰謀論は謬見であるが、陰謀は存在する。

陰謀論は、世界の複雑性を縮減したいという欲求によって産まれる。真理ではなく、複雑性の縮減が主目的であるため、その内容は各論者とその支持者の志向に従う。各論者とその支持者の志向によって方向付けられた陰謀論は、それを肯定する証拠が選択的に採用され、否定する証拠は打ち捨てられるため、偽の因果関係が生まれ、間違う。

しかし、陰謀論の間違いは陰謀自体の存在を否定するものではない。一般人でも普通に行う秘密の謀を、権力エリートだからやらないというわけもないのであって、(政治・経済・社会に与える影響力が甚大であるという意味での)巨大な陰謀はないと考える方がむしろ不自然である。

そもそも陰謀というものは陰謀であるから、外側にいる人間が、その目的や計画、効果を把握することは非常に困難だろう。ましてや大抵の陰謀論者の目は、前述のようなバイアスで曇っているのである。

ちょうどスパイ捜しのようなものだ。ある集団の中で何か問題が起こったとする。その問題はスパイの存在を疑わせるような内容だ。誰が怪しいか、どのような目的か、様々な臆見、謬見が飛び交う。つるし上げに合う人間も出る。しかし、つるし上げはスパイ行為を明らかにはしない。白状すれば、それは苦しさを逃れるために吐いた嘘だったのかも知れないし、あるいは他のスパイ仲間を庇うために自らを犠牲して、スパイ行為をより深く隠蔽するためなのかも知れない。

白状しなければ、よっぽど訓練されたスパイで、その強情さは、スパイ行為の目的の重大さを裏付けるものであるという推論も成り立つ。スパイ疑惑を利用して普段から気に入らなかった人間を陥れようとする輩も出てくるだろう。

スパイの存在を疑れば疑るほど、ひとりひとりが疑心暗鬼に陥り、集団はより混乱していく。しかしスパイは、そもそも見つからないことを以ってスパイであるのだから、その疑惑は解消せず、ただ様々な説や噂だけが飛び交う。陰謀が、秘密であることを以って陰謀であることとよく似てはいないだろうか。

陰謀論について‐2

陰謀論が謬見に過ぎないということが、陰謀の存在を否定するわけではない。陰謀は存在する…というよりも、存在しない方が不自然である。

「陰謀」とは、ひそかに企む謀(はかりごと)である。つまり、他の誰かに知られないように設計・施行される計画が陰謀だ。そんなものは日常にごろごろ転がっていて当たり前で、例えばAとBが結託し秘密裏に張った罠で、CやDやEを陥れるというような光景は別段珍しくもないことだ。

さて陰謀論の対象になる陰謀は、その社会・政治・経済的影響が甚大なものだ。そういった陰謀が存在することもまたごく自然なことであろう。そういった陰謀の主はもちろん極めて有力な存在であるはずである。だから、いわゆる「権力エリート(パワーエリート)」とカテゴライズされる人々がそれにあたる。

権力エリートは顕在的にしろ潜在的にしろ、確実に存在する。証明困難な潜在的権力エリートの存在の有無の判断は保留するとしても、少なくとも顕在的な権力エリートの存在は自明だ。ある組織や集団において、大きな権力を有する少数の支配層がそれであるのだから。具体的には経営者や株主、業界団体のトップや政府の要人、有力官僚、財閥一族などである。

そういう人々が利害、血縁、地縁、同窓、思想、目的、野望などの共通前提を媒介に結託し、秘密の計画を立てるなどは、ごく当たり前にあることだろう。権力エリートであるということは一般人よりも聖人であることを意味するわけではないのだから。

陰謀論について‐1

陰謀論ブームである。政治・経済・社会状況が複雑化して全体像の把握が困難になり、しかもうまくいってないことだけは明らかだとなれば、何かわかりやすい大きな悪を設定し、そこにすべてのうまくいかない原因を還元させてすっきりしたいと思うのが人情というものだろう。

直感的に扱えない複雑なものを人は避け、自分の思考パターンにしっくりくる単純なものに置き換える。官僚が、東電が、電通が、フジテレビが、朝日が、民主が、自民が、アメリカが、中国が、ユダヤが、ロスチャイルドが、宇宙人が…etc. とバリエーションは豊かだが、どれが選択されるかは個人の志向に拠るのである。

であるから一部例外(何事にも例外は存在する)を除いた、陰謀論のほとんどは即ち、偏見や欲望で歪んだ謬見であると言い切ってもよいだろう。

 

「企て(coeptis)に好意を寄せる」ということについて

『変身物語』の序詩に記された「企て(coeptis)」は「Annuit Coeptis」という形で、アメリカ合衆国の国章(The Great Seal of the United States)のモットーにも用いられている。もっとも卑近な例では、ドル紙幣に印刷されたプロビデンスの目を囲うようにある2つのラテン語のモットーの内、上側のものがそれである。

国務省、造幣局及び財務省による翻訳は以下の通りである。

"He [God] has favored our undertakings"

また古代ローマの詩人、ウェルギリウスの著作にも「Annuit Coeptis」と同じセンテンスが見出される。

Jupiter omnipotens, audacibus annue cœptis.

ウェルギリウスアエネーイス』第9巻625行

  • Jupiter omnipotens:全能なるユピテル
  • audacibus:危うい, bold
  • annue:肯く, 肯定する, 祝福する, 支持する, favor
  • cœptis:企て, 事をはじめる, 計画, undertaking

参考URL

http://en.wikipedia.org/wiki/Annuit_c%C5%93ptis

変身物語 序詩

わたしが意図するのは、新しい姿への変身の物語だ。いざ、神々よ―そのような変化をひきおこしたのもあなたがたなのだから―わたしのこの企てに好意を寄せられて、世界の始まりから現代にいたるまで、とだえることなくこの物語をつづけさせてくださいますように!オウィディウス『変身物語』 中村善也訳 岩波文庫

 

In nova fert animus mutatas dicere formas corpora; di, coeptis (nam vos mutastis et illas) adspirate meis primaque ab origine mundi ad mea perpetuum deducite tempora carmen! (ラテン原語)

 

翻訳にあたっての参考URL

http://www.editoreric.com/greatlit/translations/Metamorphoses.html

http://www.learnlangs.com/latin/technique2.htm